綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

残影

綾部高校同窓会長として最初に出会った人は、故岡野一二氏てある。いつもにこやかにつりズボン姿で執務されていたのが印象的である.岡野氏は郡是製糸株式会社で学閥(京都高蚕・上田高蚕)争いに敗れて、岡野氏につながる一派はそれぞれ外部子会社へ転勤となり、故岡野氏は郡是製糸株式会社の子会社栄商事株式会社(主として桑の肥料を取り扱う)の専務理事であった。郡是製糸株式会社社長であった綾部高校第二代同窓会長故小林實氏は高蚕出身でなかったが為に、社長になれた。と故岡野氏きいた。当時郡是製糸株式社では、高蚕の学閥争いが厳しく誰につくかで、自分の将来が約束されるという状況が存在したらしい。重役になれる人と思って担いでいたら、その人が重役になりそこね親亀こけたら子亀孫亀みなこけた。人を見る眼がしっかりしていないと、一生涯を棒に振る事になりかねない事になる。というお話を興味深く聞いたのも遠い昔話である。故岡野氏は菊つくりが趣味で、自宅には菊の鉢がたくさん並んでいた。                             綾部高校第4代同窓会長故四方武氏故岡野会長の推薦により同窓会理事から会長に就任していただいた。故四方氏の略歴については省略する.当時は蜷川府政時代であり、故羽室清府会議員が、綾部市長に出馬を決められて、故四方氏は綾部商工会議所専務理事に就任されていたが故羽室清氏の市長選の選挙参謀として活躍された.故羽室氏が綾部市長に出る代わりに当時市長であった故志賀清六氏府会議員になるように口説かれたそうだが、志賀氏は断乎拒否されて一騎打ちの争いとなる.当時大槻伍郎氏が羽室氏との府会議員選挙で敗れておられたから、そのようにすんなりと市長と府会議員の交代なんてできっこない.故大槻伍郎氏がとうぜん立候補されますよと故四方氏に言ったら、その説得は自信がある。といわれたことがあった。                                 当時故小原四郎校長は、故羽室氏支援の同窓会役員の主だった人と東校舎校長官舎で選挙作戦を極秘にされたことがあった。その選挙作戦とは、故羽室氏推薦のビラを同窓会役員が肩書きは書かずに、豊里以北には配布しない条件(故志賀清六氏は河北ブロックわ選挙地盤とされていた。)として、市内一円に撒いた。そのビラが河北ブロックの人達の目にとまり、元、故大槻重信教頭先生の処に抗議のでんわが殺到してこまって、どうしたらいいかなと聞かれたので無責任に、ほっとくしかないでしょう。としゃあしゃあ-故大槻教頭先生の気持ちも斟酌せずにいったことは今でも自責の念にひとしおのものがある。                                                  その市長選の結果は、故羽室氏が当選され、故志賀清六氏は敗れた。府会議員は故大槻伍郎氏が当選された。当時私は故四方会長に頼まれて、当時の府綾部事務所へ故四方氏が綾部市助役に就任されるという市民のもっぱらの噂である。ということを府綾部事務所長に言ってきてくれと言う事であったので府綾部事務所に行ったら玄関口でばったり故井上市会議員と鉢合わせになり、森永はん何しにきたんや--としつこく詰問されたのには参った。いや何でもありませんよと言ったが--そのようないいわけは通らなかった。                                  故四方氏がなぜそのような事を所長に言うように言われたのか。その時代は情報収集は徹底していて、府の出先機関の長と名の付く人は勿論、高校の校長も番号制になっており、選挙ともなれば、相手陣営の動向が逐一報告されていたし、日頃は地域の状況を逐一当時故蜷川知事の側近で森蘭丸と言われていた企画管理部長稲田達夫氏に報告をあげなれればならなかったということをよく聞かされた。その当時の綾部事務所の所長こそ、綾部高校第5代永井修氏である。                                                                 それあなたの残影なの-そうわたくしは、残影と思っている.皆さんはどのように思われるかは自由ですが--ときには見てきたような嘘を言うこともあり、さらに事実誤認もありますから、あまり真剣には読んでもつまらないですよ----

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by ayabemorinaga | 2014-02-26 15:22 | 教育・学校 | Comments(0)