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綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

つき会う

疎み疎まれず人とつきあう極意はあるのだろうか。この世に生きている限り、人づき合いはついて回る。広い意味での世間は無視できても、身近な人間関係を絶つことは不可能である.大切だから寄り添い、愛しているから束縛し結果として疎み疎まれ、ちかくて遠い存在になっていく.知人友人異性、家族、隣近所など、我々の悩み事はは人間関係に起因する.なれ合いになれば距離をおき、疎遠になれば近づいてみる.親密度に反比例した距離を意図的に演出する事が、新鮮な人間関係を保つコツかも知れない.人間関係が1番だと心得ていながらも私たちはついつい惰性でつきあってしまう.親しい者には遠慮が無くなり疎遠な者には目もくけない.私が以前つとめていた教職の職場にも、ああ言えばこういう随分とつきあいにくい人がいた.ミスでもすればいつ徹底的に攻撃されるか知れない恐ろしいほど存在感のある教員がいた。その教員の周りには30人ほどの取り巻き連中がいた。なぜ三十人の取り巻き連中がいたかと言えば、当時は何事も選挙で選出するという時代であったがどのような選挙にも30票近くの票を獲得されていたからからだ。しかし、絶妙のバランス感覚が働いて、その教員は主任になれる票数は獲得出来なかった。その教員の核の傘に入っておればミスをしても徹底攻撃されることなく安全であるからだ。森永君よ。私は君と親しくしているために、何事の声かけもしてもらえぬ。とぼやいていた友人がいた。その教員の核の傘の中に入ったら--というと今更そんな見え透いたことも出来ないよ。じゃ-しようがないから-付かず離れずにつけ合け会えば1番無難だよ--と言った事を思い出す。如何に上手につきあうか。人生いきているかきばりいろんな苦から逃れることは出来ないと達観することだな--それとも一念発起して仏門に入いり一切の苦からの解脱を試みてみたら--おいおい人付き合いのコツを教えてくれるのではなかったのか--人間関係の苦から逃れるために仏門に入れとは随分人を虚仮にした話だな--そうかもな--            追記  蛇足とは思ったが-その教員退職されると誰も見向きもしない寂しい老後を過ごされていた。新聞の死亡欄に掲載されることも無く人づてになくなられたらしいと言う事を聞いた。 そんな蛇足を書いて何になるそのようなのを冒涜というだ。失礼だろう。御免な--そのような言わずものがなのような事を書くな--だから蛇足って断ったよな--理由にならぬ。屁理屈だ。けしからん--    
by ayabemorinaga | 2014-03-07 12:07 | 教育・学校