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綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

社会の木鐸

社会の木鐸と言えば、マスコミのことだ。新聞社は、自らを社会の木鐸といい、異常なほどの自意識と自尊心酔いしれて、自分たちは、法律を犯してもかまわないと本気で信じる報道をするかと思いきや、公に発信した内容にも一切責任を持たず、大上段に決めつけておいて、あっさりと前言を翻す様な事はしていないか。さらに、新聞が社会に向かって警鐘を鳴らし、その行く手を示すという役割を果たしているだろうか。新聞は、人人に真実を訴えて警鐘を鳴らし世論形成を助ける存在ではないのか。と思いきや、毎日新聞は、平成元年に発行した昭和史年鑑【昭和史全記録】には【百人切りは事実無根】と書いているのに、裁判では毎日は[それは執筆者の個人的見解であって社の見解でない]と認めない。驚いたことに、「新聞は真実を報道する法的義務はない。】とまで言い切った。唖然としました。と稲田朋美政調会長の発言を報じている。そりや--たぶん新聞に真実を報道するよう法的義務まで規制はしていないだろう。と思う。(事実と真実は異なることもあれば、同じ事もある。真実・この言葉の定義もはっきりと示すことも必要だ)されど、社会の木鐸を自ら放棄しているのではないか。新聞の自滅である。そのような無責任な報道に踊らさせられている国民こそいい迷惑である。新聞社も批判には謙虚に聞く耳を持ってもらいたいものだ。と、いいながらも、新聞報道を虚偽であると決めつける訳にもいかない。というやっかいな問題もある。なせ゜なら、なかったことの証明は出来ないからだ。たとえば、あなたは嘘をついている。と言った場合嘘の証明が出来るだろうか。いやはや-新聞はすべからく社会の木鐸であるという気概を示して欲しい。そのような思いがする昨今だ。
by ayabemorinaga | 2015-03-24 10:18 | 政治・議会