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綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

交友録(追悼№1)

彼(由良聡君)の事について,思い出すままに書く。彼とは,綾部高校で30代前半に教員として始めて出逢った。彼は私より一つ上である。彼は,物部小学校を卒業すると,福知山中学校へ進学した秀才だ。戦後の学制改革で綾部高等学校が発足すると,福知山から綾部高校に帰ってきたが卒業と同時に、和歌山大学経済学部に進学した。大学を卒業すると同時に結婚をし奥様は,司法書士として活躍された。彼は、昼間は司法書士の手伝いをしながら,夜間定時制で教鞭を執った。父君がなくなられたので,母親の手だけの為、和歌山から実家の新庄町に帰り,夜久野中学校へ転職し,夜久野中学校から、綾部高校へ商業科の教員として勤務をしているときに出逢った。爾来同じ商業科の教員として,綾部高校で二十年にわたってのつきあいであった。商業科の時間数が減少すると同時為に,彼は,仏教大学の通信教育で社会科の免許を取得する事となる。彼が敬虔なクリスチャンである事はしばらく知らなかった。彼とは,家族ぐるみのつきあいをして,神戸六甲山、三宮動物園に行ったり,箱根へ旅行したりして,親交を深めていった。彼は痳雀が大好きで同僚と一緒に,彼の家では何回も麻雀をした事がある。彼とお酒を飲んだときは,いつも奥さんに車で送ってもらったことか。彼は私とは大違いで,性格は温厚実直で怒った顔を一度も見たことがなかった。私は勤務の傍ら6反ばかりの稲作をしていたが,彼は一町歩の稲作をしていた。その間をぬって友達から麻雀を誘われると必ず出席をしていた。しんどくないかと彼に尋ねたことがあるが、彼はストレス解消だょ。と笑っていた。私は、50台前半で稲作に見切りをつけて止めたが,彼は最後まで稲作にこだわった。あるとき、彼が君が稲作を止めたとき,私も止めれば良かった。失敗したと嘆いたことがある。私が,石原高校の時、彼に是非石原高校に来て私を助けてくれないかと頼んだ事があった。彼は快諾をしてくれたが,諸般の事情で叶わなかったが。残念なことであった。彼とは肝胆相照らすなかで,何でも話す事が出来た。余人を持って代え難い心友であった。彼は,定年退職後2年目に肺がんを患い逝去した。弔辞を読んだが万感胸に迫り来る悔しさに涙頰をつたい声はうわずり聞くに堪えない弔辞になった。彼の実家も引き続いてお母さんが亡くなり,奥さんは,家を売り払い京都に住む娘さんのところへ行かれた。諸行無常、彼のようないい人が早く亡くなり,私のような無粋な嫌われ者が世に残るとは。
by ayabemorinaga | 2016-02-24 11:01 | 教育・学校