他人の不幸は密の味
2018年 11月 18日
八十路乃半ばを越えてから、はじめて緊急車に世話になった。一晩中頭痛になやまされ、静かに寝ておれば治ると思ったが間違いだった。翌日の昼を過ぎても痛みが消えない。二時前に食事を取ったがすぐ戻した。歩こうとするが足がふらつく。救急車を頼めば隣近所に知れ渡ることを躊躇としたが、左様な世間体をおもんぱかる状況ではなかった。午後四時前に救急車を頼むことにした。救急車迄台車で運ばれたが台車がタイャであれば振動が少なくて済むが、がたたがたと運ばれると、頭の芯まで響くのでつらい思いをした。救急車に乗せられてから消防士にいろいろ聞かれるが、お答えするのも億劫でしんどかった。市立病院で診察を受けたが、病名がはっきりと掴めない様だ。一晩経過観察をしてもらうために入院したかったが、満床で家で静養することになり自宅に帰った。親切に自宅まで問いに見える人もあれば、素知らぬ顔をして問いにもこない人も居る。偉そうなことをほざいている私も過去には、近所に救急車がきたとき、駆けつけたことはあるが、後で問いに行かなかったことを後悔する。体験をする中で過去の自己の行為の愚かさを反省する。健康な後期高齢者が率先して、隣近所で共助、声かけを心がけるべきだ。されど、現在世の中を見渡せば、自己中心主義が蔓延しつつある。自己中心主義が徹底し蔓延すれば、住みたくなる町づくり、すんで良かった町づくりなど、どこかに吹っ飛んでしまう。住みたくなる町作りの施策は何か。まず住民の意識改革なくして、住みたくなる町作りじっげんは不可能だ。意識改革とは何か。お互い助け合い精神の涵養と親切心の培養か。田舎で自己中心主義が蔓延しかけたのは、一度ブログに書いたが、大槻先輩が、田舎で共助の精神・連帯感が喪失し自己中心主義が闊歩し始めたのは、葬儀を業者に頼むようになったからだ。と喝破されていたが正論だ。他人の不幸は密の味とほほえんでいる人間失格の人も存在する。人の心の中には漆黒の闇の中に恐ろしい形相をした鬼が住み着いておにが傍若無人に暴れている鬼を制御することが出来ぬ人間が増殖した。人としての道を忘れた餓鬼がこれ以上増殖せぬよう願いたい。それと他人の不幸は密の味とほほえむ人が存在しない世の中でありたい。いや-他人の不幸は密の味などと、ほほえむ不謹慎な高齢者は誰もおらぬ。あなたの邪推だ。であれば幸いなり。されど私は、今回そのような人の存在を実感したぞ。人の真意は何か。それは態度行動そのものだ。親切心があるなら行為で示すことだ。ブログでぼやくことしか出来ぬ我の無能と実行力の欠落を哀しむ。
by ayabemorinaga
| 2018-11-18 11:44