綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

管理職受難時代に

京都府では、蜷川革新府政が27年間の長きにわたって続いた。昭和53年に林田保守府政が誕生した。まず、府教委の教育長の人選が喫緊の課題であった。教育関係では公立高校から国公立大学への入学が最悪の状態であった。当時の府会議員が福岡県まで視察に行った。最終的には校長〇Β吉本先生ではなく府教委からの昇任となった。二代目は西野是先生である。最初の取り組みは普通科の学科改編で普通科の中に類類型が導入された。次が、職業学科の改編であった。職業学科の改編に私は、石原高校で携わった。石原高校の職員は学科改編は、教職員の総意で決定すべきである。と一歩も引かぬ姿勢である。私は学科改編の責任者として教頭先生に依頼した。教頭先生は各学科から教職員を専任してとり組む事とした。なにを勘違いしたのか教頭先生は、メンバ-との懇談のなかで、俺に着いてこい。校長の云うことなど聞く必要は無い。私には強力なバックがあると自負していたそうな。春期討論集会の廃止にともにい職員との話し合い、校務分掌は選挙で在り開票は校長が教職員立ち会いの下で開票した。選挙の結果を尊重しての任命となつた。学校管理規則の制定に対する教職員の反発。石原高校学科改編以外にも難しい問題が山積みの状態であった。まず教頭先生の転出を諮った。校長に批判的では何事もすすまぬ。苦渋の決断であったが府教委はしっかりと支えてくれ教頭先生は岩滝中学校の校長に転出した。今思えばよくもやりきったなと身震いするよ。本当にー   むちゃくちゃーつぱしったというとこか。我々は今でも管理職受難時代にいきてきたという思いは失せぬ。管理職受難時代を切り抜けてきた多くの先輩がいたから、現在の学校があることを自覚されよ。

by ayabemorinaga | 2018-12-02 10:06 | Comments(0)