綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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誰もが住みたくなる町

誰もが住みたくなるまちづくり、すんで良かった町づくり、が、綾部市市是であるならば、誰もが住みたくなる町づくりの具体的な理想像が示されるべきだ。その理想像のじつげんにむけた具体的施策をさくていく〔あなたに言われなくてもやっている]ことになる。この町作りについて議会で具体的な論戦がされたか。とんと耳にせぬのは私だけかな。少子化と高齢者社会が急速に進み人口減少に歯止めがかからない。誰もが住みたくなるまちづくり-いいス□-ガンだ。いや-市是だ。市民が願う住みたくなる町とは何か。行政はしっかりと把握されているか。市内あちこちに限界集落が激増するどろこか集落が消滅する状況が予見される。安全安心して過ごせる町、地域コミニティの住民がお互いに支え合い助け合う地域社会、これらの構築を如何に具現すべきか12月市議会で論戦してもらいたい。
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by ayabemorinaga | 2018-11-20 08:26 | Comments(0)

女餓鬼

お釈迦様が極楽の蓮池の回りを散策されているときことでございます。三途の川から蓮池に女餓鬼が一匹流れ込んできました。三途の川で閻魔大王が地獄ゆき‥極楽ゆきと仕分けをする立場におりながら、何を間違ったのか極楽へ通ずる蓮池に女餓鬼を送り込んだ。たぶん女餓鬼は閻魔大王など恐れることなくぺらぺらと嘘八百の生前の善行を並べ立てたために閻魔大王がうかつにも女餓鬼の言行を信じ込み蓮池に送り込んだのだ。この女餓鬼生前中はありとあらゆる自慢はするわ、嘘をつくわ、悪知慧は働くわ、常識のかけらも持ち合わせぬ女餓鬼ですから、当然奈落の地獄に落ちて、悪餓鬼達から舌を抜かれて喋れなくなる報いを受けなければ成りません。蓮池に流れ込んだ女餓鬼を一目見てお釈迦様は、けげんなお顔を成されました。その様子を弟子が素早く見て取り、蓮池に落ち込んだ女餓鬼を拾い上げ地獄の血の池に投げ込みました。地獄の血の池で、女餓鬼が来るのを待っていた悪餓鬼達が、よってたかって女餓鬼をいたぶりました。女餓鬼は悲鳴を上げて許しを請いました。生前中に、さんざん人を苦しめ、人の中をさいたり、ある事ないこと嘘八百を言い続けてきた、罰当たりの女餓鬼を懲らしめなければと、大勢の餓鬼達がよってたかって、鞭でたたき続けました。女餓鬼七転八倒の苦しみを味わい許してくれと哀願し続けました。その様子をご覧になったお釈迦様はぷいっと横を向かれました。なぜか充分苦しんでいる様子だから許してやったらどうかと、おっしゃりませんでした。珍しくもう少し苦しみを与えなければ、おの女餓鬼の根性は治らないとお思いになったに違いありません。
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by ayabemorinaga | 2018-11-19 11:17 | Comments(0)

他人の不幸は密の味

八十路乃半ばを越えてから、はじめて緊急車に世話になった。一晩中頭痛になやまされ、静かに寝ておれば治ると思ったが間違いだった。翌日の昼を過ぎても痛みが消えない。二時前に食事を取ったがすぐ戻した。歩こうとするが足がふらつく。救急車を頼めば隣近所に知れ渡ることを躊躇としたが、左様な世間体をおもんぱかる状況ではなかった。午後四時前に救急車を頼むことにした。救急車迄台車で運ばれたが台車がタイャであれば振動が少なくて済むが、がたたがたと運ばれると、頭の芯まで響くのでつらい思いをした。救急車に乗せられてから消防士にいろいろ聞かれるが、お答えするのも億劫でしんどかった。市立病院で診察を受けたが、病名がはっきりと掴めない様だ。一晩経過観察をしてもらうために入院したかったが、満床で家で静養することになり自宅に帰った。親切に自宅まで問いに見える人もあれば、素知らぬ顔をして問いにもこない人も居る。偉そうなことをほざいている私も過去には、近所に救急車がきたとき、駆けつけたことはあるが、後で問いに行かなかったことを後悔する。体験をする中で過去の自己の行為の愚かさを反省する。健康な後期高齢者が率先して、隣近所で共助、声かけを心がけるべきだ。されど、現在世の中を見渡せば、自己中心主義が蔓延しつつある。自己中心主義が徹底し蔓延すれば、住みたくなる町づくり、すんで良かった町づくりなど、どこかに吹っ飛んでしまう。住みたくなる町作りの施策は何か。まず住民の意識改革なくして、住みたくなる町作りじっげんは不可能だ。意識改革とは何か。お互い助け合い精神の涵養と親切心の培養か。田舎で自己中心主義が蔓延しかけたのは、一度ブログに書いたが、大槻先輩が、田舎で共助の精神・連帯感が喪失し自己中心主義が闊歩し始めたのは、葬儀を業者に頼むようになったからだ。と喝破されていたが正論だ。他人の不幸は密の味とほほえんでいる人間失格の人も存在する。人の心の中には漆黒の闇の中に恐ろしい形相をした鬼が住み着いておにが傍若無人に暴れている鬼を制御することが出来ぬ人間が増殖した。人としての道を忘れた餓鬼がこれ以上増殖せぬよう願いたい。それと他人の不幸は密の味とほほえむ人が存在しない世の中でありたい。いや-他人の不幸は密の味などと、ほほえむ不謹慎な高齢者は誰もおらぬ。あなたの邪推だ。であれば幸いなり。されど私は、今回そのような人の存在を実感したぞ。人の真意は何か。それは態度行動そのものだ。親切心があるなら行為で示すことだ。ブログでぼやくことしか出来ぬ我の無能と実行力の欠落を哀しむ。
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by ayabemorinaga | 2018-11-18 11:44 | Comments(0)

泥棒がいる世の中

世に泥棒の種はつきまじ--とは、大泥棒石川五右衛門が釜ゆでの獄門にあったときの言葉よ。昨日の会合の時に聞いた話だが-由良川堤防の周囲の畑で野菜を栽培しているが、ある日ごっそり野菜が盗難に遭った。疑いたくもないが、堤防を散歩している人でないと場所が分からないから、おそらく堤防を散歩している人であろう。と考えるが軽々に判断すべことではない。堤防を散策している人は皆泥棒かと勘ぐられては大変だ。いや-迷惑この上ないことだ。推測で判断すべきことではなく事実をつかむことが最優先だ。ここは慎重な表現が求められることは理解している。
精魂を傾けて栽培した野菜を盗むとは、お金を出せば何でも手に入る便利な世の中だ。人の栽培した野菜を盗まなければ生活が出来ないとは考えられぬ。現代の世の中は人の栽培した野菜を盗まなければ成らぬほど貧困な生活をしている人が居るとは到底考えられぬのだが-人に見つからぬかどきどきしながら周囲を丹念に見渡して野菜を盗むスリルがたまらないのか。人の心は巣くう窃盗という屈折した精神が存在する事が哀れ。人の心は本来、善なのか悪なのか。性善説‥性悪説があるが、いや、善と悪とが共存していが、悪への誘惑に流される人たちが多いのだろう。泥棒が存在せぬ世の中がやってくるのか。いや-五右衛門ではないが、世に泥棒の種は尽きまじを信じて用心することに尽きるのか-
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by ayabemorinaga | 2018-11-12 08:36 | Comments(0)

石原高校教職員0Β会

昨日は石原高校教職員0B会が福知山万助荘で開催されたので参加した。毎年連綿と継続されている。幹事の高橋智夫先生が緻密な計画なり資料作りをしている。彼は大坂にに住居を構えているが、わざわざ福知山まできて世話をしてくれている。私は昨年から参加し始めた。今年で二年目である。教職員0B会東舞鶴高校が毎年4月29日に開催されている。石原高校教職員0Βも毎年11月の第2土曜日と日が設定されている。綾部高校教職員0Β会に三年に一回開催される。東舞鶴高校教職員0B会もほとんど欠席ばかりしている。しかし、命ある限り出来るだけ体調が良ければ出席をして皆さんの元気な顔がみたいと思う昨今だ。石原高校で私の前任の管理職であった出手先生が92才に成られているが矍鑠として出席されていた。吉田一二三雄先生も92才で悪いところはどこもないをおっしゃっていた。現職校長の大島先生も特別会員として参加された。参加者は30名とかなり少ないが継続は力なりの精神を発揮して年々参加者が増加することを期待したい。石原高校から府立工業高校への学科改編は現状維持を死守する教職員との間で随分葛藤があった。改革思想の持ち主とも思えぬ現状維持を死守する教職員は、技術革新が日進月歩の企業の現況をおいつけ追い越せと生徒に技能を身に付けさせることによって、生徒個々の進路を開拓出来る喫緊の課題である事を、理解していない集団であると思ったこともたびたびだ。学科改編が教職員の意向で挫折しておれば現在の府立工業が存在していただろうか。旧態依然の石原校校では生徒募集に四苦八苦。父兄も生徒も敬遠する学校となり、存立すら危ぶまれる高校になっていなかったか。しかし、今は左様な感情はさらりと水にながして、昔激しく対立した教員0Βとも、和気藹々と歓談するのが人間として取るべき寛容な態度であると自覚する。とおい昔の様々な事柄がまざまざと蘇る会であった。追記 工業科教員は員数合わせに採用するのでなく能力のない教員は採用すべきではなく、あくまで日々研鑚研修に適応できる能力のある教員を採用すべきである。急いで能力もない教員を員数合わせに採用すれば末代まで禍根を残すのみだ。現に左様な教員が存在していることを憂う。

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by ayabemorinaga | 2018-11-11 09:19 | Comments(0)

鬼パパァ-

田舎暮らしでは、隣は何をする人ぞというわけには行かぬ。自慢話ばかりをするかと思えば、嘘もつく困った年寄りはばあ-だ。おつむの程度はよわいとお見受けするが、本人は左様な意識は皆無だ。欲張りなこと人一倍で悪知慧は働くからやっかいな事この上なし。そのよなはばあ-とも付き合わなければならぬから迷惑この上なし。お手上げとはこのようなことか。親父は、そのはばあ-乃言いなりだから話に成らぬ。さらに自己顕示欲は恐ろしいほど強い。人を区別して話すらから、初対面の人は丸めこめられる。集会などの時は、一人喋っている。相手の話を遮って人の輪の中に入ってくる。私は、鬼ばばはあ-という尊称をたてまっつている。そのように状況を仏教では怨憎会苦と言うらしい。世の中とは左様と心得られよ。と言われればさいざんすか-ととぼけざるを得ない。
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by ayabemorinaga | 2018-10-24 10:23 | Comments(0)

写経

後期高齢者となり菜園仕事を唯一の楽しみとしていたが、億劫になり始めたので止めた。、今更反省しても無駄なことだが、自分なりの趣味を持つべきであった。俳句‥短歌‥囲碁 写真。グランドゴルフ‥ゴルフ‥等賀あるのだからいずれか一つを習得しておくべきであった。いずれも無能な我が最後にたどり着いたのが写経だ。何枚の写経が出来るか。1000枚出来たときに高野山に参拝して納めることとするか。思いつきじゃダメだろう。一心不乱に写経に打ち込むこととする。‥
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by ayabemorinaga | 2018-10-23 12:27 | Comments(0)

毎日が

毎日が日曜日の生活が続く、朝起きて朝食を取れば犬の散歩・犬に引っ張られながらよたよたとついて行く。案外臆病な犬だ。自分の思う方向に行かしてくれないと、お座りをして動かない。飼い主の意向など完全無視だ。飼い主の気持ちが理解するようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。散歩は朝と夕方の二回だ。歩数は3200歩だ。我々の年齢になれば、一日何千歩が健康維持に適当なのかは理解していない。体力に応じた歩数で決して無理をしないことだ。元気で散歩が出来るのも後何年か。

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by ayabemorinaga | 2018-10-22 13:22 | Comments(0)

毎日が

毎日が日曜日の生活が続く、朝起きて朝食を取れば犬の散歩・犬に引っ張られながらよたよたとついて行く。案外臆病な犬だ。自分の思う方向に行かしてくれないと、お座りをして動かない。飼い主の意向など完全無視だ。飼い主の気持ちが理解するようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。散歩は朝と夕方の二回だ。歩数は3200歩だ。我々の年齢になれば、一日何千歩が健康維持に適当なのかは理解していない。体力に応じた歩数で決して無理をしないことだ。元気で散歩が出来るのも後何年か。

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by ayabemorinaga | 2018-10-22 13:22 | Comments(0)

毎日が

毎日が日曜日の生活が続く、朝起きて朝食を取れば犬の散歩・犬に引っ張られながらよたよたとついて行く。案外臆病な犬だ。自分の思う方向に行かしてくれないと、お座りをして動かない。飼い主の意向など完全無視だ。飼い主の気持ちが理解するようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。散歩は朝と夕方の二回だ。歩数は3200歩だ。我々の年齢になれば、一日何千歩が健康維持に適当なのかは理解していない。体力に応じた歩数で決して無理をしないことだ。元気で散歩が出来るのも後何年か。

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by ayabemorinaga | 2018-10-22 13:22 | Comments(0)