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綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

カテゴリ:未分類( 419 )

西坂歴史の会

昨日は西坂歴史の会があり出席した。西坂の歴史をひもとき未来志向のあるべき町存続について話し合った。西坂は東西四キロに聚落が百軒ばかり点在している。以前は西ノ保村と赤目坂村に別れていた。赤目坂は藤懸藩の所領地であった。人口は分家によって増加していく。さけど分家にも限界があるほとんどが百姓であるから生計を維持していくための田畑の増加が望めない。当時一町歩も持っておれば何とか生計は維持出来た。が、六反百姓では副収入を考えない限り難しい。副収入を得るために‥養蚕業を営み冬場は出稼ぎとして、酒造りの杜氏や寒天屋に働きに出た。また、冬場の仕事としては一年間はくための草履作りに精を出した。さらに、安定した収入を得るためには、教師・郵便局勤務か村役場に勤める事で有った。今後30年の間には後期高齢者ばかりが住む町となり、やがては限界集落になり、挙げ句の果てに<消滅聚落に転落することは必修だ。起死回生の施策は何か。行政は人口減少に歯止めが掛けられる施策はあるのか。

by ayabemorinaga | 2019-06-13 21:16 | Comments(0)

遙かなる幾山川

麦秋の候、麦の収穫と蛍が飛び交う季節が再びやってきた。蛍を追いかけて泥田に足を突っ込んだ昔を懐かしむ。そう、桑の実もおいしい頃だ。桑畑に入って唇をまっ青にしながら桑の実をほおばった頃が思い出される。昔は農家の副業として蚕を飼った。いや、本業であったかも知れぬ。戦時中は桑の皮むきに小学生が動員されて加わった物だ。桑の皮の繊維を服に仕立てるのだ。ごわごわして肌触りは最悪だ。戦時中はすべてのものが逼迫していた。酒もタバコも配給制だ。日常の履き物は草履だ。祖母は家の周りを常に裸足で歩いていた。戦後はナイロンの普及によりきぬ織物は衰退した。その結果養蚕業も衰退した。六反百姓農家は米作り以外の経済的収入を得るため土建従事者として働き生業を維持した。戦後の一時期は食糧難のため農家は何を作っても飛ぶように売れた為生計は豊であった。政府の農業政策も行き当たりばったりで確立した施策を打ち出すことは出来ていなかった。戦後は金肥肥料によって反収は極端に増加した。戦中一反あたり二石しかとれなかった米が四石もとれるようになり米あまり現象が起こり減反政策を政府は導入した。佐のごとく行き当たりばつ足りのその場その場の対応で未来志向の政策は皆無であった。農業機械の発展により農家の栽培面積は拡大していった。私が暮らす町は水田面積が60町歩であり農家一軒あたり6町耕作すれば10軒の農家で出来る。今後を見据えてみると限界集落になり自治会が崩壊する危機に直面することになるかも知れぬ。限界集落を救済する施策の確立が喫緊の課題だ。評論家のようなことをつぶやいているがあんた議員の時限界集落救済の議員政策提案をしたのか馬鹿者が--と言う声が聞かれそうだ。
by ayabemorinaga | 2019-06-11 10:31 | Comments(0)

散歩

健康維持のために毎朝夕散歩を始めた。一人散歩するのも味気ないので柴犬を連れて行っている。一日壱万歩を目標にしているがなかなか到達できぬ。平均8000歩止まりだ。昨今は田植えが終わった稲田の緑がまばゆい。稲田の農道を散歩する。ゆっくりと歩こうとするが柴犬が元気で引きずられているような状態だ。のんびりと農道を散歩するのも気分爽快だ。友人の塩尻君は何十年とやっているが、私はまだ始めたばかりだ。いつまで続けられるか未来の予測は不可能だ。昨今何のために生かされているのかと哲学的思考をしている。天は我に何をさせようとしているのかと考えてみるが分からない。老後何の不安もなく生活出来るのも年金のおかげだ。国に感謝だ。智に働けば角が立つとかくこの世は住みにくい。何で高尚な考えは我が頭には浮かばぬ。
by ayabemorinaga | 2019-05-24 13:49 | Comments(0)

春秋会

退職市会議員の会合が現長で開催されたので参加した。33人のうち16人が参加した。さっと半数である。春の叙勲の栄誉を受けられた方が2人おられた。佐佐木‥白波瀬元議員のお二人である。今日府庁公館で伝達式があるそうだ。いずれも24年間議員として綾部市の発展に貢献された人だ。私なんか二期八年のひょこだ。でも年齢は最年長である。1933年五月22日生まれである。今日で満86才になった。おかげさまで今日まで大病をすることもなく元気に生きてきた。今は亡き両親に感謝だ。山崎副市長‥高橋儀長が来賓として参加された。会が終わり始めたときに動議が出され春秋会だから秋も開催することになる。酒を酌み交わし親交を深める絶好の機会だ。年を重ねるにつれて世間に疎くなるが、ソノ埋め合わせをするにはまたとない機会である。健康な限り出席をしていろんなご意見を聞かせてもらうつもりだ。されど潮時という事もある老醜をさらけ出すのもほどほどに引け時を見失ってはならぬと思っている。
by ayabemorinaga | 2019-05-22 11:15 | Comments(0)

毎日が日曜日

毎日が日曜日といった生活になってから、行く年過ぎたことか。昨今はあさ目覚めれば犬のさんぽから一日が始まる。わずかな畑での菜園作りが日課である。楽しみと云えば、友人とグランドゴルフに行くぐらいだ。旅行に行こうと家内を誘ってみるが断られる。温泉につかってくつろげば気分転換になると思うが、乗り気がしないようだ。新聞も斜め読み何が書かれているか頭に入らぬ。政権打倒を目指す新聞記事も迫力がない。昨今電力株が震わない。株にリスクはつきものソノ覚悟なくして株など買えぬ。じっと塩付けにして反転上昇を期待している。私の株の購入は配当目当てであり、売買利益を期待する物ではない。それにしても今の電力株は底値もいいとこだ。まだ下がれば悲鳴を上げたくなるな。誰が儲けて誰かが損失を被る。それもいいではないかと開き直る。
by ayabemorinaga | 2019-05-17 10:56 | Comments(0)

麦秋

五月が過ぎて六月になれば麦刈りの到来だ‥我が幼少の頃は、養蚕業が盛んで蚕の食材の桑の実が食べられる。唇を紫色にしながら甘酢つぱい桑の実をほおばったものだ。麦刈りをして脱穀するのであるが麦のいがいがが身体に付着してかゆいことこの上なかった。小麦を栽培してそれを粉にしてうどんを作るのだ。ご飯が足りなければうどんをつくりたべたものだ。麦秋とは麦の収穫期の事をさす。蛍が飛び交うのもこの時期である。源氏蛍は少なくぬか蛍がたくさん飛び交っていた。蛍を追っかけて上ばかり見ているから田んぼのなかに滑に込むこともしばしばあった。麦の収穫が終われば田んぼに水を張り田植えの準備だ。農家では猫の手も借りたいと云われる忙しい時期である。養蚕は農家の副業だ六反百姓では生計が立たぬ。養蚕は年に少なくても四回繭を収穫出来る‥家全体を養蚕のため使うため、人間の寝るとこは板の間だ。養蚕も戦後ナイロンの出回り衰退した。農家の忙しさを助けるために共同炊事がされ昼のおかずが供給された。キャベツの油炒めがおいしかったな。昔を振り返る麦秋がやってきた。

by ayabemorinaga | 2019-05-16 09:39 | Comments(0)

草苅

昨日は老人会で公民館の草苅が実施されたので参加した。平素老人会の行事への不参加の埋め合わせのつもりだ。昨日は真夏日のようなアッさである。草苅を一時間継続すれば身体が悲鳴を上げる。寄る年波には勝てぬと実感する。水分補給も必要だ。飲み物は老人会で調達してくれる。ぼちぼち草苅も辞退をせざるを得なくなるようだ。無理に参加する事もあるまい。自分の身体相談することだ。しかし、私よりも年配の人が矍鑠として参加されている。立派なことだ。気持ちとしては、身体が健康である限り参加刷るべきであると自覚する。背負いの草苅機の重さをずっしりと感じるようになった。年は取りたくないものだ。こんな身体の調子だと家庭菜園もいい加減な事になりそうだ。当分は、犬と散歩して足腰を鍛えていこうと思っている。

by ayabemorinaga | 2019-05-14 08:49 | Comments(0)

昨日の事

昨日は京都で退職教員の集いがあったので参加した。参加者は130名だ。年々参加者が増える様だ。顔なじみがすくなくなり見知らぬ後輩が増えていく。我々は年配者の参加が少なくなっていく寂しいがぎりだ。でも、是がこの世の掟なんだと思う。91才で矍鑠として参加されている先輩もいた。見習いたい物よ。かっての同僚が元気に参加されているのをみるにつけ嬉しい限りだ。話の内容が何であったかとんと思い出せぬ。脳の劣化が始まりだした。認知症に成ったら大変だ。気を付けなければと思うが、はてさて何に気をつければいいのか分からぬ。認知症になれば人間の本性が如実に表れるとか。はて私はどのような本性が表れるのか気が気でない。人間の本性とは、色気が食いけのどちらかだと云われている。私は自分では食い気だと思っているがそれは分からぬ。京都駅で帰りしなに会う事になっていたのにすっかり忘れて電車にのり、電車に乗ってから娘に慌てて電話をして謝る事になる。荷物を持って京都駅で電話を待っていたらしい。その荷物が今日宅急便で届いた。前の晩に娘から帰り際に電話をして-とシッヵり云われていたのに忘れている。友人と一緒であったのでうっかり忘れをしたのかも知れぬ。と自分では思いたい。認知症の前段症状だとは思いたくないよ。年を取るにつれて全身の機能が劣化するのは避けられぬ。是も自然の法則だ。




  

by ayabemorinaga | 2019-05-12 14:11 | Comments(0)

昨今感じることは

この年に成ると健康のありがたさが身にしみる。健康は親からの贈り物と言われる。健康な身体こそ、健全な精神が維持出来る。病の辛さは人には分からぬ。痛いのを我慢できるのには限界がある。煩っているとちょっとした他人の言葉に酷く傷つくことがある。病人には優しく接することが何にもまして求められる。誰もがぴんぴんころりを願望すれど、神は人間の勝手な願いなど聞いてくれぬ。脳梗塞で寝たきりになり家族に迷惑をかけることは最悪だ。ろうそくの火が消えるがごとくすーっと息が引き取れればいいのだが、願いは叶わぬだろう。健康で老後を送れてこそ後期高齢者の生きる喜びであろう。寿命は何歳かは知らぬが健康で過ごしたいと思う昨今だ。



by ayabemorinaga | 2019-04-17 09:25 | Comments(0)

昨今感じることは

この年に成ると健康のありがたさが身にしみる。健康は親からの贈り物と言われる。健康な身体こそ、健全な精神が維持出来る。病の辛さは人には分からぬ。痛いのを我慢できるのには限界がある。煩っているとちょっとした他人の言葉に酷く傷つくことがある。病人には優しく接することが何にもまして求められる。誰もがぴんぴんころりを願望すれど、神は人間の勝手な願いなど聞いてくれぬ。脳梗塞で寝たきりになり家族に迷惑をかけることは最悪だ。ろうそくの火が消えるがごとくすーっと息が引き取れればいいのだが、願いは叶わぬだろう。健康で老後を送れてこそ後期高齢者の生きる喜びであろう。寿命は何歳かは知らぬが健康で過ごしたいと思う昨今だ。



by ayabemorinaga | 2019-04-17 09:25 | Comments(0)