綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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礼節とは

府立工業高校長第十一代校長大島浩樹君が挨拶に来てくれた。そういえば、私が石原高校に着任したとき、タクシ-で挨拶回りを行った.地元在住の元校長先生であった天野先生、大島唯夫先生、並びに、大橋‥岡野府会議員、PTA会長、校医‥高倉同窓会長へ行った。東舞鶴高校に着任したとき.また、退任したときも同じくあいさつにお伺いした。昨今にそのような儀礼的なことは、だんだん廃れていくようだ。府教委もそのような指導は成されていないだろう.昔、むかし、武田盛冶教育長私に校長先生が定年退職されるときには、どのようになっているのですか.と尋ねられたことがあった。退職最後の3月31日に事務職員に挨拶をして去る程度のことです。それはお粗末ですな、長年教育に携わられ退職される時は、副校長が中心になって、学校でクラブ活動をしている生徒を集めて、事務職員も校門に整列してお送りするのが礼儀でしょう。と言われた事があった。定年退職をされる校長を抱えている副校長はその程度の気配りが出来なければ、副校長の資格がないと言う極端な考えを私は持っている。日本古来の武道は、礼にはじまり礼に終わる.と言われるぐらい礼節を重んじた.その伝統を守り維持していくことは、教育に携わっている管理職の義務だ。しかし昨今はそのような礼節を重んじ率先して実行する管理職は貴重な存在のようにお見受けする。

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by ayabemorinaga | 2018-05-16 11:24 | Comments(0)

府立学校0B会

五月の第二土曜は恒例の府立0B会が例年開催されるので参加した.二条駅を下りると久しぶりに珍しい顔ぶれに出逢った.吉川‥寺田先生だ.二人とも元気そうなので本当に嬉しかった.吉川先生には石原高校の学科改編に私の相棒としてご尽力を賜った.当時の石原高校は分会勢力が強くて,学科改編には手こずったが,吉川先生の尽力で何とか乗り切ることが出来た.大恩人だ.寺田先生には,私が東舞鶴に転勤することになり,急遽東舞鶴高校長から府教委へ転出されることになりご迷惑を掛けた.三人で夕フシ一に相乗りしてルビノ堀川に行った.懇親会では,森‥高谷‥島田先生と相席になつた.森‥高谷先生は同い年である.島田先生は先輩だ.生徒指導担当で私と同じ分担である.座席は梅の席だ.それだけ年齢を重ねていると言う事だ.府教委からも教育長をはじめ幹部が列席された.気心の知れた仲間が団団少なくなっていくのは寂しいことだ.荒川。斉藤君が欠席した.いまだかつて欠席をしたことがないので,体調が悪かったなのかなと思う.お互い年齢を重ねているので、もう,何年出席出来るかなと不安でもある。でも、健康である限り嫌われても出席しようと思っている。いや驚いたことがある。安田先生が乾杯の発声をされたが,96才とは恐れ入った.敗戦後寿命が急速に延びた。何が原因なのだろうか。食料事情が格段に良くなったからかな-

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by ayabemorinaga | 2018-05-15 08:07 | Comments(0)

久美浜へ

昨日は雨の中久美浜の和久傳まで足を伸ばした。森の中の家安野光雅館で優しい水彩画で世界の風景や風物を描いた安野光雅先生の世界楽しんだ.安野光雅館は安藤忠雄先生ののシンプルでかつ自然の光や風をとり組んだ独特の設計が光る建築物に接することが出来た.工房レストランで昼食をとった。久しぶりに心身ともリラックスするひとときを過ごす事が出来た.是非皆さんも少し遠いかも知れませんが行かれることをお勧めします。昨年の六月に開館されたそうです.町おこしの一つの好例であると思った.かくなる計画が至るところで実施されることはいいことだと思う。それぞれの地域には何かいいところがあるが、それを探しあぐねているのが現在の状況ではないか。

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by ayabemorinaga | 2018-05-14 09:40 | Comments(0)

回想

今年6月10日の綾部高校同窓会総会で,役員を退任することになった.思い返せば.54年間の歳月を役員として関わってきた.当時綾部高校長であった梅原康先生が綾部高校が創立80周年を迎えのを記念して,記念事業を学校で行おうと思うがどうかという提案が成された.私は同窓会が主体的にとり組む事にしたいと申し出た.学校長の了解のもと最初にとり組んだのが,創立80周年記念てある.山崎‥塩尻先生が校務分掌をはなれて一年間の歳月を費やして編纂されたのが,創立80周年記念誌である。私は不朽の記念誌であると自負している.創立90周年には同窓会館の建設を2年間の歳月を募金活動を経てとり組んだ。100周年には私は綾部高校を離れていたが,募金活動委員長としてとり組んだ.主に庭園整備に当てられた。120周年を記念して募金活動を行い標柱や中庭庭園の整備が行われた.いずれも三回の募金活動に私は中心となってとり組んだ。同窓会各位の熱心な募金カッドウに対するご支援‥ご理解を賜り諸事業が滞りなく完成した。募金総額壱億円に及ぶ寄付をいただいた.感謝感謝である。綾部高校を永遠なれ-と賛辞を送りたい。この同窓生の賛辞に答えて綾部高校が市内の中学生が喜んで入学するあこがれの高校にならんことを祈るや,折
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by ayabemorinaga | 2018-05-10 12:08 | Comments(0)

腰痛

昨今しばしば腰痛に悩まされる.静に寝ていればさほどのことはないが,歩行が困難だ.何に就けても人間痛みには弱い.痛みから逃れようと医者にかかることになる.人類が二足歩行始めて時から腰痛はつきものだ.腰痛から逃れることは出来ぬ.私のはぎっくり腰といわれるものの一種かも知れぬ.思わぬと気にぎくりと来る.しまったと臍をかんでも後の祭りだ。医者にかかっても完治するまでに四・五日はかかる。いや-*一週間かな.この年では身体の無理は極力避けねばならぬ.出来ル限り身体をいたわることが必要だ.若い時のように無理は出来ぬ.齢を重ねてもいいことは一つもない.身体のあちこちが悲鳴を上げている長年こき使った臓器が破壊寸前だ.臓器を壊さないようにするには,無理はしないこと.腰痛のたびそのような思いが駆け巡る。
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by ayabemorinaga | 2018-05-07 14:47 | Comments(0)

頭の体操

生来悪い頭がさらに劣化していくようだ.何とか現状を維持するために,年寄りの冷や水と笑われるかも知れぬが,携帯電話をスマホに変えた。孫娘に手ほどきを教わりながら始めたが,覚えるよりも忘れる速度が早い.反復練習を繰り返すがなかなか覚え込めない。これを人は老化というだろう。年はお互い取りたくないものだが、これも自然の成り行きだ.無理に逆らうこともあるまい。しかし考えてみるに世の中の科学の進歩には眼を見張るものがある.敗戦の混乱期から考えたらこのような便利な世の中にあろうとは考えも及ばなかった。しかし,便利な世の中を謳歌しながら不満たらたら人ばかりが跋扈する.何事も不満の行き先は政治の性にする.人間の性は恐ろしい.そのような人間に誰がしたかってか。そりや-ひとえに教育のたまものだろう.権利主張ばかりを教えて義務をなおざりにした結果がこのざまだ.損得勘定。利害得失でしか人は動かぬとはこれまた情け無い限りだ。そんな世間にだれがした-そんな人間にだれがした-と歌ってごまかすしかないな。
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by ayabemorinaga | 2018-05-05 16:27 | Comments(0)

政治家の原点とは

人情、そして,弱者への愛、政治家の原点がここにある。世評ではいろんな批判にさらされた故田中角栄元総理であるが、私はこのような政治家は二度現れないのではないかと思う。世間での批判はどうあろうとも,私は,角栄氏は偉大な政治家であったと断言したい。人情の塊みたいな人である.人垂らしでは羽柴秀吉と比べても遜色はない。気配り目配りは常人の域を超えている.昨今ノ政治家で人情、弱者への愛を信条としている政治家はあまり見かけぬのは残念だ.政治家を志すならば、この原点を忘れるな.田中角栄氏をみらえ.と言いたい。思想的に激しく対立しても,相手を抹殺するようなことは決してしない。人間愛は生涯一貫していた.田中角栄氏が逝去されて25年が経過する.石原慎太郎氏が天才[田中角栄氏の生涯]と言う本出版され,さらに角栄氏の本が書店に並ぶ.そのことは読者ガいると言う証だ。読者は角栄本を読んで何を思うのか。いま角栄在りせば,いかなる施策を実行するのかと言う思いを胸に読むのだろうか。私は、角栄氏をみらなう偉大な政治家が現れることを願う。人がなんと言おうが私は彼は偉大な政治家であったと賞賛したい。
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by ayabemorinaga | 2018-05-04 09:53 | Comments(0)

隠居のぼやき

頭脳明晰必ずしも人格者ではない.昨今の財務官僚の頽廃ぶりをみていてつくづくかんじる。敗戦後の日本経済の復興に尽力を尽くしてきたのは、財務官僚でなかったのか。財務官僚も自己保身にはしると失態を繰り返す.政治家を叱咤激励して国民の経済生活を盤石にするという気概を失うこと失うことなかれ。そして,人の道を踏み誤ること亡かれ。今の官僚達は学校で道徳教育を受けてこなかった人達が大半だ.道徳教育を受けたら人格者になるとは限らぬ.我如何に生きるべきか.自問しながら,人の為世のために尽くすことに限り無い喜びを見いだすことだ.これこそ天の啓史と心得よ。官僚こそ国を背負って国民の安寧のために全身全霊をもってその職責を遂行せよ.それが官僚の生きる道さ.悪徳官僚は,各省で自浄作用によって淘汰せよ。
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by ayabemorinaga | 2018-05-03 09:17 | Comments(0)

寂しき追憶

昨今は,何かにつけて悲観的な考えしか浮かばぬ。それを歳の性にしたくはないが、やはり年齢が影響している.この年になって生き甲斐を持つ事すらない.されど、何か生きる目標がなければやりきれぬ。野菜作りが当面の生き甲斐か.追肥、消毒、水やりと結構手間がかかる.畑の周囲の草苅もしんどくなってきた.無理をするとからだがきしむ。一晩寝ても疲労回復が出来ぬ.考えられないほどの身体の劣化だ.運動代わりに散歩を日課としているが、ちょいちょいサボりたくなる.継続は力なりノ言葉がむなしく響く.天候によって気分が左右される.私が田舎に帰ったのは30才の時だ.父親が60才でみまかり,私が一家を支えなければ成らなくなった。高校三年の弟、グンゼ柳瀬に勤務する妹、それに母と祖母がいた.農業と勤務の二足わらじを履いて必死になって働いた.よく頑張ったものだと今更ながら驚いている.父の一生もくろうの連続であったと考える.昭和9年に火災に遭い,川筋から当時の金で1000円で今の家を購入したてた.当時グンゼの株を売却して400円の資金を調達したと聞いている.家の経済を支えるために父は冬働き即ち寒天屋に12月中頃から2月の中頃まで毎年働きに出かけた.私も大学生の時父の働いている現場に行ったことがある.私の学費はわずかばかりの山林の立木を売却して調達してくれた.私が学校に勤務し始めた頃父は私に始めて弱音をはいた.少しばかりお金を家に入れてくれぬか.ニッチもしゃっちも行かぬようになった。と苦しい家の経済を話してくれた.私は,無慈悲にもいや恩知らず罵られても弁解の余地がない言葉を父に投げかけた.親父さんお金に苦労するのも長生きの秘訣だぜ-と。父に親孝行もすることもなく父は旅立っていった.親孝行したいときには,親は亡くを実感する。今の生活が出来るのは父のおかげだ.されど親孝行の為に墓に布団をかぶせるわけには行かぬ。神の前で懺悔をして親不孝を許してもらうわけには行かぬか 罪深き行為に神はお怒りになり決して私の親不孝をお許しになる事はあるまい.悲しいことだけれど---


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by ayabemorinaga | 2018-05-01 10:56 | Comments(0)