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綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

真心

人と交際するときに、心得なければならぬことは、真心を持って接すると云うことだ。今更あんたに説教がましく言われなくても分かっている。ほんとに分かっているか。分かっていない人が多数いるから云っておるのだ。それじや--お聞きするが真心を持っていない人とはどのような人だ。ぺらぺらとかんなくずをはき出すようにおべんちゃらを言う人だ。心にもないことを云っておると人様に見透かされる人のことだ。そんなの-居るでしょう皆さんの回りにわんさと。真心を持っている人は言葉の端々に暖かみが感じられるでしょうが-真心を持って人様にいたわりの声かけが出来る人になりたい。
# by ayabemorinaga | 2018-11-22 14:04 | Comments(0)

健康とは

私の友人が、健康は親からの贈り物と云ったがまさに名言なり。健全な身体にこそ健全な心が宿る。その通りなり。健康こそこの世で唯一の宝物なり。八十路半ばまで幸いなことに大病をしたことがなかった。私の両親は父が60才で心筋梗塞でなくなった。祖父も心臓の病で60才で亡く成っている。母親は91才で天寿を全うして亡くなった。父親の遺伝子は妹二人がうけついだのであろう60半ば70才未満で亡くなっている私はどうやら母親の遺伝子を受けついだのか、八十路半ばまで生きながらえてきた。過日一晩頭痛と嘔吐に悩まされ救急車にお世話になる羽目になった。健康のありがたみを痛いほど感じた。幸か不幸か診察の結果入院治療をする必要が無く即日家に帰った。健康こそ何物にも代え難き宝ものと実感する。
# by ayabemorinaga | 2018-11-21 14:12 | Comments(0)

誰もが住みたくなる町

誰もが住みたくなるまちづくり、すんで良かった町づくり、が、綾部市市是であるならば、誰もが住みたくなる町づくりの具体的な理想像が示されるべきだ。その理想像のじつげんにむけた具体的施策をさくていく〔あなたに言われなくてもやっている]ことになる。この町作りについて議会で具体的な論戦がされたか。とんと耳にせぬのは私だけかな。少子化と高齢者社会が急速に進み人口減少に歯止めがかからない。誰もが住みたくなるまちづくり-いいス□-ガンだ。いや-市是だ。市民が願う住みたくなる町とは何か。行政はしっかりと把握されているか。市内あちこちに限界集落が激増するどろこか集落が消滅する状況が予見される。安全安心して過ごせる町、地域コミニティの住民がお互いに支え合い助け合う地域社会、これらの構築を如何に具現すべきか12月市議会で論戦してもらいたい。
# by ayabemorinaga | 2018-11-20 08:26 | Comments(0)

女餓鬼

お釈迦様が極楽の蓮池の回りを散策されているときことでございます。三途の川から蓮池に女餓鬼が一匹流れ込んできました。三途の川で閻魔大王が地獄ゆき‥極楽ゆきと仕分けをする立場におりながら、何を間違ったのか極楽へ通ずる蓮池に女餓鬼を送り込んだ。たぶん女餓鬼は閻魔大王など恐れることなくぺらぺらと嘘八百の生前の善行を並べ立てたために閻魔大王がうかつにも女餓鬼の言行を信じ込み蓮池に送り込んだのだ。この女餓鬼生前中はありとあらゆる自慢はするわ、嘘をつくわ、悪知慧は働くわ、常識のかけらも持ち合わせぬ女餓鬼ですから、当然奈落の地獄に落ちて、悪餓鬼達から舌を抜かれて喋れなくなる報いを受けなければ成りません。蓮池に流れ込んだ女餓鬼を一目見てお釈迦様は、けげんなお顔を成されました。その様子を弟子が素早く見て取り、蓮池に落ち込んだ女餓鬼を拾い上げ地獄の血の池に投げ込みました。地獄の血の池で、女餓鬼が来るのを待っていた悪餓鬼達が、よってたかって女餓鬼をいたぶりました。女餓鬼は悲鳴を上げて許しを請いました。生前中に、さんざん人を苦しめ、人の中をさいたり、ある事ないこと嘘八百を言い続けてきた、罰当たりの女餓鬼を懲らしめなければと、大勢の餓鬼達がよってたかって、鞭でたたき続けました。女餓鬼七転八倒の苦しみを味わい許してくれと哀願し続けました。その様子をご覧になったお釈迦様はぷいっと横を向かれました。なぜか充分苦しんでいる様子だから許してやったらどうかと、おっしゃりませんでした。珍しくもう少し苦しみを与えなければ、おの女餓鬼の根性は治らないとお思いになったに違いありません。この女餓鬼案外近くにいそうです。

# by ayabemorinaga | 2018-11-19 11:17 | Comments(0)

他人の不幸は密の味

八十路乃半ばを越えてから、はじめて緊急車に世話になった。一晩中頭痛になやまされ、静かに寝ておれば治ると思ったが間違いだった。翌日の昼を過ぎても痛みが消えない。二時前に食事を取ったがすぐ戻した。歩こうとするが足がふらつく。救急車を頼めば隣近所に知れ渡ることを躊躇としたが、左様な世間体をおもんぱかる状況ではなかった。午後四時前に救急車を頼むことにした。救急車迄台車で運ばれたが台車がタイャであれば振動が少なくて済むが、がたたがたと運ばれると、頭の芯まで響くのでつらい思いをした。救急車に乗せられてから消防士にいろいろ聞かれるが、お答えするのも億劫でしんどかった。市立病院で診察を受けたが、病名がはっきりと掴めない様だ。一晩経過観察をしてもらうために入院したかったが、満床で家で静養することになり自宅に帰った。親切に自宅まで問いに見える人もあれば、素知らぬ顔をして問いにもこない人も居る。偉そうなことをほざいている私も過去には、近所に救急車がきたとき、駆けつけたことはあるが、後で問いに行かなかったことを後悔する。体験をする中で過去の自己の行為の愚かさを反省する。健康な後期高齢者が率先して、隣近所で共助、声かけを心がけるべきだ。されど、現在世の中を見渡せば、自己中心主義が蔓延しつつある。自己中心主義が徹底し蔓延すれば、住みたくなる町づくり、すんで良かった町づくりなど、どこかに吹っ飛んでしまう。住みたくなる町作りの施策は何か。まず住民の意識改革なくして、住みたくなる町作りじっげんは不可能だ。意識改革とは何か。お互い助け合い精神の涵養と親切心の培養か。田舎で自己中心主義が蔓延しかけたのは、一度ブログに書いたが、大槻先輩が、田舎で共助の精神・連帯感が喪失し自己中心主義が闊歩し始めたのは、葬儀を業者に頼むようになったからだ。と喝破されていたが正論だ。他人の不幸は密の味とほほえんでいる人間失格の人も存在する。人の心の中には漆黒の闇の中に恐ろしい形相をした鬼が住み着いておにが傍若無人に暴れている鬼を制御することが出来ぬ人間が増殖した。人としての道を忘れた餓鬼がこれ以上増殖せぬよう願いたい。それと他人の不幸は密の味とほほえむ人が存在しない世の中でありたい。いや-他人の不幸は密の味などと、ほほえむ不謹慎な高齢者は誰もおらぬ。あなたの邪推だ。であれば幸いなり。されど私は、今回そのような人の存在を実感したぞ。人の真意は何か。それは態度行動そのものだ。親切心があるなら行為で示すことだ。ブログでぼやくことしか出来ぬ我の無能と実行力の欠落を哀しむ。
# by ayabemorinaga | 2018-11-18 11:44 | Comments(0)

泥棒がいる世の中

世に泥棒の種はつきまじ--とは、大泥棒石川五右衛門が釜ゆでの獄門にあったときの言葉よ。昨日の会合の時に聞いた話だが-由良川堤防の周囲の畑で野菜を栽培しているが、ある日ごっそり野菜が盗難に遭った。疑いたくもないが、堤防を散歩している人でないと場所が分からないから、おそらく堤防を散歩している人であろう。と考えるが軽々に判断すべことではない。堤防を散策している人は皆泥棒かと勘ぐられては大変だ。いや-迷惑この上ないことだ。推測で判断すべきことではなく事実をつかむことが最優先だ。ここは慎重な表現が求められることは理解している。
精魂を傾けて栽培した野菜を盗むとは、お金を出せば何でも手に入る便利な世の中だ。人の栽培した野菜を盗まなければ生活が出来ないとは考えられぬ。現代の世の中は人の栽培した野菜を盗まなければ成らぬほど貧困な生活をしている人が居るとは到底考えられぬのだが-人に見つからぬかどきどきしながら周囲を丹念に見渡して野菜を盗むスリルがたまらないのか。人の心は巣くう窃盗という屈折した精神が存在する事が哀れ。人の心は本来、善なのか悪なのか。性善説‥性悪説があるが、いや、善と悪とが共存していが、悪への誘惑に流される人たちが多いのだろう。泥棒が存在せぬ世の中がやってくるのか。いや-五右衛門ではないが、世に泥棒の種は尽きまじを信じて用心することに尽きるのか-
# by ayabemorinaga | 2018-11-12 08:36 | Comments(0)

石原高校教職員0Β会

昨日は石原高校教職員0B会が福知山万助荘で開催されたので参加した。毎年連綿と継続されている。幹事の高橋智夫先生が緻密な計画なり資料作りをしている。彼は大坂にに住居を構えているが、わざわざ福知山まできて世話をしてくれている。私は昨年から参加し始めた。今年で二年目である。教職員0B会東舞鶴高校が毎年4月29日に開催されている。石原高校教職員0Βも毎年11月の第2土曜日と日が設定されている。綾部高校教職員0Β会に三年に一回開催される。東舞鶴高校教職員0B会もほとんど欠席ばかりしている。しかし、命ある限り出来るだけ体調が良ければ出席をして皆さんの元気な顔がみたいと思う昨今だ。石原高校で私の前任の管理職であった出手先生が92才に成られているが矍鑠として出席されていた。吉田一二三雄先生も92才で悪いところはどこもないをおっしゃっていた。現職校長の大島先生も特別会員として参加された。参加者は30名とかなり少ないが継続は力なりの精神を発揮して年々参加者が増加することを期待したい。石原高校から府立工業高校への学科改編は現状維持を死守する教職員との間で随分葛藤があった。改革思想の持ち主とも思えぬ現状維持を死守する教職員は、技術革新が日進月歩の企業の現況をおいつけ追い越せと生徒に技能を身に付けさせることによって、生徒個々の進路を開拓出来る喫緊の課題である事を、理解していない集団であると思ったこともたびたびだ。学科改編が教職員の意向で挫折しておれば現在の府立工業が存在していただろうか。旧態依然の石原校校では生徒募集に四苦八苦。父兄も生徒も敬遠する学校となり、存立すら危ぶまれる高校になっていなかったか。しかし、今は左様な感情はさらりと水にながして、昔激しく対立した教員0Βとも、和気藹々と歓談するのが人間として取るべき寛容な態度であると自覚する。とおい昔の様々な事柄がまざまざと蘇る会であった。追記 工業科教員は員数合わせに採用するのでなく能力のない教員は採用すべきではなく、あくまで日々研鑚研修に適応できる能力のある教員を採用すべきである。急いで能力もない教員を員数合わせに採用すれば末代まで禍根を残すのみだ。現に左様な教員が存在していることを憂う。

# by ayabemorinaga | 2018-11-11 09:19 | Comments(0)

鬼パパァ-

田舎暮らしでは、隣は何をする人ぞというわけには行かぬ。自慢話ばかりをするかと思えば、嘘もつく困った年寄りはばあ-だ。おつむの程度はよわいとお見受けするが、本人は左様な意識は皆無だ。欲張りなこと人一倍で悪知慧は働くからやっかいな事この上なし。そのよなはばあ-とも付き合わなければならぬから迷惑この上なし。お手上げとはこのようなことか。親父は、そのはばあ-乃言いなりだから話に成らぬ。さらに自己顕示欲は恐ろしいほど強い。人を区別して話すらから、初対面の人は丸めこめられる。集会などの時は、一人喋っている。相手の話を遮って人の輪の中に入ってくる。私は、鬼ばばはあ-という尊称をたてまっつている。そのように状況を仏教では怨憎会苦と言うらしい。世の中とは左様と心得られよ。と言われればさいざんすか-ととぼけざるを得ない。
# by ayabemorinaga | 2018-10-24 10:23 | Comments(0)

写経

後期高齢者となり菜園仕事を唯一の楽しみとしていたが、億劫になり始めたので止めた。、今更反省しても無駄なことだが、自分なりの趣味を持つべきであった。俳句‥短歌‥囲碁 写真。グランドゴルフ‥ゴルフ‥等賀あるのだからいずれか一つを習得しておくべきであった。いずれも無能な我が最後にたどり着いたのが写経だ。何枚の写経が出来るか。1000枚出来たときに高野山に参拝して納めることとするか。思いつきじゃダメだろう。一心不乱に写経に打ち込むこととする。‥
# by ayabemorinaga | 2018-10-23 12:27 | Comments(0)

毎日が

毎日が日曜日の生活が続く、朝起きて朝食を取れば犬の散歩・犬に引っ張られながらよたよたとついて行く。案外臆病な犬だ。自分の思う方向に行かしてくれないと、お座りをして動かない。飼い主の意向など完全無視だ。飼い主の気持ちが理解するようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。散歩は朝と夕方の二回だ。歩数は3200歩だ。我々の年齢になれば、一日何千歩が健康維持に適当なのかは理解していない。体力に応じた歩数で決して無理をしないことだ。元気で散歩が出来るのも後何年か。

# by ayabemorinaga | 2018-10-22 13:22 | Comments(0)

毎日が

毎日が日曜日の生活が続く、朝起きて朝食を取れば犬の散歩・犬に引っ張られながらよたよたとついて行く。案外臆病な犬だ。自分の思う方向に行かしてくれないと、お座りをして動かない。飼い主の意向など完全無視だ。飼い主の気持ちが理解するようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。散歩は朝と夕方の二回だ。歩数は3200歩だ。我々の年齢になれば、一日何千歩が健康維持に適当なのかは理解していない。体力に応じた歩数で決して無理をしないことだ。元気で散歩が出来るのも後何年か。

# by ayabemorinaga | 2018-10-22 13:22 | Comments(0)

毎日が

毎日が日曜日の生活が続く、朝起きて朝食を取れば犬の散歩・犬に引っ張られながらよたよたとついて行く。案外臆病な犬だ。自分の思う方向に行かしてくれないと、お座りをして動かない。飼い主の意向など完全無視だ。飼い主の気持ちが理解するようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。散歩は朝と夕方の二回だ。歩数は3200歩だ。我々の年齢になれば、一日何千歩が健康維持に適当なのかは理解していない。体力に応じた歩数で決して無理をしないことだ。元気で散歩が出来るのも後何年か。

# by ayabemorinaga | 2018-10-22 13:22 | Comments(0)

生き甲斐とは。

命、心は存在すれども目に見えぬ物なり。いや存在するのか。観念論では説明できるか。唯物論での説明は不可能か。いやいや、生き甲斐とは何か。この年で生き甲斐など亡いわ。と開き直る。そりや*-あんたの勝手だぜ-好きにしいや-とはね飛ばされる。意地になってあんたは生き甲斐があるのか-とたずねたらあるさ。どのような生き甲斐か-と尋ねても返事はない。菜園作りが生き甲斐かと思ったが昨今は菜園作りもしんどいばかりで、天候不順のため立派な果実は望めない。苗を買い肥料を買い田畑を耕耘する手間がいる。買った方が断然お得だ。しんどい思いをして田畑を耕作する気力も失せた。気力の喪失が生き甲斐を奪う。何度も書くが我に未来はない。我の未来はお迎えだけだ。左様なことに心を奪われていると心を病むよ。そりや-分かっているさ。隣人も自己中心人ばかりで当てにならぬ。いや-ダンス‥カラオケ‥ボ―リング・雀荘三昧と生き甲斐をもって遊んでいる人を見るとうらやましい。お酒を唯一の友としてほろ酔い眼で世の中を睥睨している人も居る。お酒が生き甲斐とはご立派なことで。-人なかにでて話を聞けば気分をはれよう-。そのために、老人会があるではないか。老人会に参加する気力も持ち合わせていない。老妻相手に家の中に引きこもっておればダメよ。話し相手を求めて市中を俳諧すれば、だれかに出逢うだろう。その人を友として交わりを深めルることよ。--了解。どうですか。提案だが温泉巡りの旅に出られては。いいね。思い立ったが吉日早速旅行業者に頼むとするか。それも生き甲斐の一つか。明るく生きよう。楽しみを求めて--なんだかんだと、ご託を並べていないで健康であることを神に感謝したまへ-といわれそうだ。健康一番この健康を維持するために、神仏に感謝を捧げて暮らすべしか。

# by ayabemorinaga | 2018-10-19 10:50 | Comments(0)

謹啓 西脇知事

西脇知事の御尊父を私は存じ上げている。義兄が国会議員に出馬するとき西脇知事の御尊父西脇庄一府議が選対本部で中心になって熱心にご活動いただいた。そのお姿は今も我が脳裡に彷彿とうかびあがる。それはさておき、京都府教育委員会の教育委員に是非高校教諭‥小中教諭からそれぞれご推薦いただきたいと思っている。かって、林田知事当時副知事であった野中副知事は、高校から故藤田一先生、中学から西田先生を推挙された。それは革新府政からの保守府政に転換したので過信教育委員会の体質改革が必要であったことも影響している。革新府政の教育施策が染みついている教育現場の意識改革を推進する施策の立案には教育現場経験者の意見を聞くひっようがあったかも知れぬ。私は、教育現場の経験者が教育委員であれば、具体的な施策の提言が出来るからである。教育委員会が行政経験者ばかりであると施策が抽象化する恐れがある。教育委員会は、施策を推進するときは検討委員会を設置してその中に教育現場経験者も入れていると反論するだろう。水産高校・石原高校の学科改編の時は産業教育委員会の検討を経て改革施策を実践したと云われるだろう。それは当然の手続きである。私は教育委員には、二人ぐらい教育現場の経験者がいることが施策の活性化を推進するときの審議が具現化することは間違いないと思っている。故に、教育委員に現場経験者を任命していただきたいと思う。
# by ayabemorinaga | 2018-10-18 11:51 | Comments(0)

我が輩は犬

我が輩は犬である。天然記念物の柴犬だ。戸籍上は凜であるが、気むずかしい飼い主の奥さんが[ここ]と呼んでいる。我が輩の父親の名は都乃紅龍号で母親は絆乃凜号だ。本籍地は、高砂市阿弥陀町長尾431-30番地だ。父親は平成24年の秋京都展で成犬優良一席日保本部賞をもらっている。生まれは、2018年5月18日である。生後三ヶ月で気むずかしい飼い主の所に着た。気むずかしい飼い主と同じ部屋でゲ-ジの中で暮らしている。ゲ一ジの中は窮屈でたまらないので外に出して欲しいのだが、気むずかしい飼い主は、我が輩の気持ちなど考えず散歩の時以外は外に出してくれない。外に出して欲しくなりクンクンなくと大きな声で叱責される。我が輩が飼われたのは気むずかしい飼い主の散歩のお供だったらしい。朝晩散歩に連れ出してくれるが、我が輩が走り出そうとすると飼い主はよたよたしてリ一ドを強く手元にたぐり寄せるから首が締まってたまらない。我が輩と競争するぐらいな元気はつらつとした飼い主であればどれほど幸せかと思う。よたよたじいさんの元に飼われたのも我が輩が持って生まれた宿命かとも思う。これから何年よたよたじいさんの散歩の相手をしなければならないノだろうか、気が滅入ることこの上ない思いだ。最近になって動物を飼うと如何に世話が大変かが分かってきたようだ。我が輩の排泄物の始末をぶつくさいいながら行っている、気の毒なよたよたじいさんだ。

# by ayabemorinaga | 2018-10-17 10:34 | Comments(0)

あんなことこんなこと

あんなことこんなことあったでしょう。保育園で卒園式に子供達が歌っている。長い人生では、あんなことこんなこと、つらいこと、くるしいこと、かなしいこと、たのしいこと様々な事を経験しながら終活へとたどり着き棺を覆ったとき人の評価がさだまると云われている。思い起こせば、我々の管理職時代は教職員組合との交渉が頻繁に行われた。革新府政の時は、職員会議が最高議決機関で、学校運営のすべてが職員会議の決定を経なければ成らなかった。だから校長は責任を取ること皆無だ。学校運営についてすべての責任をおうのは職員会議だ。当時の校長は呑気なとうさんの見本だ。こんな気楽な稼業はないといえよう。学校管理運営規則がなかったために、校務分掌は選挙で選出された校務分掌委員会が本人の希望を聞きながら最終決定した。民主主義のてっていといえはぜきれいに聞こえるが大衆迎合主義の見本みたいな物だ。学校運営規則が制定され校務分掌の決定権は校長の専権事項となった。校長の専権事項を乱発して教職員の意向を無視する馬鹿校長が現れたことがある。校長は教職員のやる気をおこす校務分掌決定に最善の努力を傾注することだ。独断専行は禁物だ。春期討論会の廃止‥学校管理運営規則の制定等、教職員組合側からみれば気色の悪い代物ばかりだ。当然校長との交渉事項となり学校現場では頻繁に交渉が行われた。校長受難の時代だ。私などは教職員人事で組合からダッカのごとく毛嫌いされた見本だだ。人事で組合の街宣車が私宅まで押しかけてがなり立てられた。そのような校長は、私以外に自慢じゃないが誰もいないだろう。退職後9年の歳月が過ぎたとき、俺はそんなに世間で評判が悪いのか、信を問うためメンツをかなぐり捨てて市会議員に立候補した。その節には、西坂町のみなさんには言葉で言い尽くせぬほどお世話になった。感謝感激だ。落選すれば評判どおりだと反省し今後の生き方を考えようと思った。されど世間は私を見捨てていなかった。一期目は22人中11番めで当選した。二期目は議員定数22人から18人に減らしての選挙となり、あわや落選かと思ったがビリから二番でようやく当選した。世評ではもっぱら老齢議員候補者二人が落選候補とはやし立てられていたそうな。選挙は水物と言われるとおり、市議6期のベテラン議員が落選の憂き目を見た。ああ無常 峻烈極まる判断が下された。あな恐ろしや-世間とは。我が人生に未来はない。故にあんなことこんなことあったでしょうを、回想する日々だ。

# by ayabemorinaga | 2018-10-15 09:00 | Comments(0)

祭礼

今日は好天に恵まれ西坂町の祭礼が行われている。私が居住する西坂は東西約4キロに田園が広がり山間に住宅が点在する。西坂を超えれば丹後の国大江町へと続く。西を望めば大江山の峰が眺められる。西坂の奥赤目坂を起点して川が流れる犀川へつながる。戸数およそ100戸人口約280名ぐらいだ。田園は60町歩専業農家10軒で耕作可能だ。そう祭礼の話だ。西坂には、神社が3社鎮座成される。高蔵神社‥諏訪神社‥九社神社である。御輿が高蔵神社を出発して諏訪神社‥九社神社を巡り高蔵神社に帰還される。私の幼少の頃は、新嘗祭に合わせて10月17日と決まっていた。昨今は御輿を担ぐ人手を確保するために10月半ばの日曜日となった。一聚落に神社が三社あるのも珍しいのではないか。高蔵神社のご神体は武内宿禰であり戦の神と思っている。私も市議選に臨むに当たり必勝を期して告示当日参拝したものだ。昔を思い、村の鎮守の神様の今日はめでたい村祭りどんどんひゃららどんひゃらら-と口ずさんでみた。台風被害による土砂災害も少なく平穏な日々を過ごせることを感謝して御輿が巡行される事を願う。高齢者ばかりになり、御輿の担ぎ手もない村に成ることだけはなんとしても避けて欲しいものだ。どうすればいいのか-それは政に携わる人たちの喫緊の課題だ。
# by ayabemorinaga | 2018-10-14 10:11 | Comments(0)

白昼夢か

私が学生の時、大徳寺聚光院に下宿をしたときでございます。東寺で修行中の僧侶が聚光院にきて私と話しているとき、突然に、反対語のない言葉は何ですかな。と尋ねてきた。私は、とっさに空でしょうな。としたり顔で答えたものだ。僧侶もなるほどと思ったらしかったが、黙っていた。空って何だ。心って、命って言葉は存在すれど、実態は見えない。心凍らせて、命が縮むってどんな状態か。びっくりして腰を抜かすことはあれど、心を凍らせた状態とは身体がどうなるのか。体験したことはいまだない。心を凍らせた人間も見たことがない。いや内面のことだから外部からは見えないのかも知れぬ。心や命をつかむことが出来るのか。命や心をつかみ手玉に取ってみたいが無理だ。いや不可能だ。恋い心ってなんだ。相手の心をわしづかみと言う言葉があるが、つかめるか。心はどこに宿るのか。心理学で心の実態を解明できるか。昨今そのようなことが胸中にさんざめく。白昼夢か。
# by ayabemorinaga | 2018-10-13 10:14 | Comments(0)

おや-と思ったこと

最近、おや-と思ったことと云えば、ある議会の議席のことだ。当選五回の議員が最前列とは、これいかに-私が議員の時は当選回数が多い議員が最後列であった。昨今は、当選回数が多い義員が最前列となったのかは存ぜぬ。常識的な観点から考えれば、議席は当選回数に準じて前列から後列へ-だろう。議席配列が会派の話し合いで決められるならば一人会派では決められたとおりに従うしかない。しかし、会派の幹事長が、惻隠の情を考慮すべきではないのか。私は特定の議員を擁護しようとは考えていないが。ごくごく常識的な考えに基づいていると思っているが、私の考えは非常識か。昨今は従来の頑固さに輪を掛けたような頑固が心にへばりついた。私の考えが間違っていれば是非反論をしてください。当選五回の議員が最前列であることを、私は議場に出向いて確認していない、ただ新聞報道で知っただけだ。私の新聞の読み違えもあるから絶対とは申し上げないつもりだ。ただただ市民目線でみれば-摩訶不思議ではないだろうか。いやさ-市民はさほど関心がないかも知れぬ。あんたが一人先輩面をしてこだわっているだけさ-と笑われるだけかもな-
# by ayabemorinaga | 2018-10-12 09:42 | Comments(0)

ブログ三度

ようやくブログを書き綴ることが可能になりました。これからは心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書き綴りたい。これから何を書き綴ることになる事やら-あまり期待しないでお読みください。
# by ayabemorinaga | 2018-10-11 18:59 | Comments(0)