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綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

倖せ

自治会長の時の物部小学校での式辞。三つの倖せ。ひとつめ、ひとになにかしてもらう倖せ。幼い頃に母親に母乳をのませてもらう。ふたつめ、自分で何かができるようになる倖せ。自転車に乗れるようになる倖セ。パソコンが操作できるようになる倖せ。みっつめ、他人に何かしてあげる倖せ。老人に席を譲る。介護をしてあげるなど三つの幸せの中で、三つ目が最も崇高な倖せかも。歳をとれば他人から何かをしてもらわなければ成らなくなる。できるときにはしっかりと人のために行う倖せを忘れないことだ。
# by ayabemorinaga | 2008-08-14 06:07 | その他 | Comments(0)

落日

落日に感動する心、ひいては落日信仰というものが、果たして日本人だけの感覚なのでしょうか。日本人の落日信仰を考えるとその歴史的な聖地として大阪の四天王寺が有ります。四天王寺の落日信仰は芝居や様々な文芸作品に取り上げられましたが、その原点に位置スル作品が「弱法師」ではないでしょうか。四天王寺では、春彼岸は真東から太陽が出て真西に沈む日で、その特別の日に西門で念仏を唱えながら極楽往生を勧める法会が行われます。日を拝むので日想観と言います。さてさて、落日が一番美しい場所は、夏場は日本海側、それに対して冬から春にかけての時期は太平洋岸だと言われています。芭蕉の句。「暑き日を海に入れたり最上川」「赤々と日はつれなくも秋の風」芭蕉は落日が一番美しい時期を知っており、奥の細道で日本海側で落日を見る為に旅をしたのではないか。落日の彼方に存在するものが浄土なのでしょうか、それとも極楽なのでしょうか。私も一度夏に落日の美しい場所を求めて感動あふるる旅をしたい。夕焼け小焼けを口ずさみながら。
# by ayabemorinaga | 2008-08-13 15:49 | その他 | Comments(0)

游学

一カ所で堤防をきずくと、他日、大雨でも降れば、必ず、下の方の反対側の堤防が決壊する。いくら人力を尽くして、築堤を行ってもいたちごっこだ。とわかった時、漢民族は「水に抵抗しないで、水を自ら流す」という方法を思いついた。つまり、黄河が激した時にできた水路沿って堤防を築いていったのである。水はゆっくりと自ら適くことになり、その姿が快適であるというので游〃自適と表現した。「水に逆らわず、水を遊ばせる」という思想は東洋民族の一つの特徴であり、その水が遊ぶように学問にゆったりと遊び楽しむことから「游学」という言葉が生まれた。治水は、古来どこの國でも大きな政治課題であったし今も大きな課題である。治水など大それた考えを持たず水を遊ばせると言う考えで事に当たるべきか
# by ayabemorinaga | 2008-08-12 06:08 | その他 | Comments(0)

健康

現実ながい病気をやった者でないと、病人の気持ちは絶対に分からないだろう。だから、私に言わせれば、病気など一度もやったことのない人を健康な人とは決して思わない。本当の健康というのは、病気にかかってそれを克服した人ではないか。「病める貝にのみ真珠は宿る」というアンドレ-フの箴言は、一度、病んでみないと分かりませんネ」 確かにその通りで、吉田兼好は「徒然草」の中で、友人に不適当な人間を七種類あげ、その中に「身強き人」を入れている。あまりにも丈夫な人は友人として不適確だ、と言う意味である。理由は簡単、思いやりがないからだ。
# by ayabemorinaga | 2008-08-11 11:12 | その他 | Comments(0)

度量

人は才能があっても度量がなければ、人を包容する事はできない。反対に度量があっても才能がなければ、事を成就する事ができない。でも、才能と度量との二つは兼ね備える事ができないとしたら、むしろ才能を捨てて度量をとりたい「才能より度量を」と言うと、小さいことは問題にしない。豪傑のほうを推奨しているように受け取られるがそうではない。人を包容する事ができる度量があるとは、その人と一緒に仕事をする人が「生かされる」ということであり、そのほうが結果的に何倍も仕事ができることになる。この「人を生かす」という心は、人に対する敬にほかならない。
# by ayabemorinaga | 2008-08-10 05:37 | その他 | Comments(0)

和合(箴言)

来者迎、去者送、対者和 五五十、一九十、二八十、大絶方処、細入微塵、活殺自在  鹿島神社奉納された額の中にある文句です。「来ル者ハ迎エ、去ル者ハ送リ、対スル者トハ和ス」水の流れる如く、何者にもこだわらぬ態度である。世の中の事がすべて、この通り行けば問題がないが、なかなか、そうはいかない。それは何かというと私心があるからだ。こだわるところがなければ、いかなることも擬滞なく対処できる。「五五十、一九十、二八十」ここが中心の眼目です。十という満数、夫婦でいえば夫婦相和し、という円満な姿に当たる。この十は五と五とお加えても十になるし、一と九ても十、二と八でも十になる。言うなれば夫婦円満の十は夫は妻を愛し、妻は夫を敬う、というような五と五でも達せられるが、相手が何かの心の乱れで、たとえ一であり、二であるような時があっても、こちらがこれにこだわらず、一なら九を足し,二なら八になって補えば、同じように夫婦円満の十なにることができるのだ。私たち悲しいかな、いつもニコニコ笑ってばかりいるわけにはいかない。時にはご機嫌斜めの時もある。そんなとき、「おまえが一ならこっちも一だ」となっては、一プラス一は二で十とはならない。「あなたが二なら、私も二よ」では、これも四にしかならない。相手にこだわり、自分にこだわっているからだ。やはり自分を捨てきって無私となり、相手が一なら、こちらが九になつて補い、相手が二なら八になつて助けてやらないと、夫婦円満の十にはならないのです。このことをおわかりかな皆様方。分かっちゃいるけどやめられない、の歌の文句じゃないけれど、なかなか実行することができませんね。愚かなる者よ人間なんていってみたいけれど、それほど達観(悟り)できている者でもないし、少しづつ少しづつ実践するのみ。文章が長くなりました。ゴメン
# by ayabemorinaga | 2008-08-08 08:52 | その他 | Comments(1)

意見(説教)

人に意見をするのは難しい。たとえばこんな例はどうだろう。良寛の生家の相続人、馬之助が放蕩に身を持ち崩したために、その母に泣きつかれて、意見をしに出かけた。良寛は三日三晩逗留したが、いっこうにお説教をしない。とうとう、そのまま、いとまをつげることになってしまった。そのたちぎわに良寛は馬之助をよんで「すまぬが、わらじの紐を結んでたもれ」といった。母親は〃きっとここで厳しく訓戒してくださるだろう〃と大いにきたいして、衝立のかげから様子をうかがっていた。また、馬之助は馬之助で〃今日にかぎって妙なことを仰せられる〃と思ったが、とにかく、言いつけられたとおり、わらじの紐を結んでさしあげた。すると、その襟元に冷たいものがポトリと落ちた。馬之助がびっくりして見上げると良寛が目しばたいてみつめている.馬之助はハッと感じ入った。良寛はやおら身を起こすと、無言のまま立ち去った。人間のはかなさ、弱さに徹しきった良寛の無我の愛が、私たちの胸の奥底に響くのである。仏教ではそれを慈悲と言う。
# by ayabemorinaga | 2008-08-07 06:37 | その他 | Comments(0)

男の意気

「人生、意気に感ず。功名、誰か復た論ぜん」大丈夫たるもの、ひとたび、この世に生まれいでては、地位とか、金とか、名誉とか、そういう片々たる名聞利達でなく、男が男の意気に感じて行動を選ぶのだ。このことを、土井晩翠が次の如く言っている。功名何か、夢のあと、消えざるものはただ誠、人生、意気に感じては、成否を誰かあげつらう。男が男の意気に感じて行動をし誠を貫くすばらしいことではないか。
# by ayabemorinaga | 2008-08-06 06:12 | その他 | Comments(0)

陽転の発想

どんな悪い状況に立たされても、そこに埋没してしまわない。こんな悪い状況に立たされているのだから、もう、これ以上悪くなりようがない。後は良くなるばかりだ。こんなふうにいつも前向きに物事をとらえていく。陰陽の陽、つまりプラス思考をすることである。でもどん底の苦しみの中ではなかなかそのような考えになれずに、悲観的に考えてしまうが、そのときのプラス思考こそ成功への道なのだ。人の一生はいくつもの失敗をやっている。もう、立ち直れないのではないかと思えるほどの、挫折を味わったことも、一度や二度ではないはずである。が「失敗をしたところでやめるから失敗になるので、成功するまでやり抜いたら、失敗は失敗でなくなる」苦しい状況に立たされているときこそ、しっかりとプラス思考を持っていたいものである。
# by ayabemorinaga | 2008-08-02 07:11 | その他 | Comments(0)

嫉妬

人を感動させる。これは別の言い方をすれば、人を認めると言うことである。認められる喜び、それが感動である。人を認めることは簡単なようで難しい。たとえば、自分以外の人が異動で昇進したとしょう。その人と面と向かえば、誰でも「おめでとう」とお祝いの言葉を述べる。だが、自分の胸の内では、その人の昇進を素直に祝福していないことに気づくであろう。その人に嫉妬している自分に気づくはずである。それが人情というものだ。人は嫉妬にとらわれやすい。これを克服するには自分に謙虚になることだ。そして冷静に自分を眺めることだ。どんな才能に恵まれた人でも、自分ひとりの持っている能力は何ほどのものでもないことに気づくはずである。(たまには、その事に気づかない不幸なひともいるが、)己の分をしる。謙虚さをもって人と交わるとともに、自分に足りないものを備えている人を認めるという姿勢を常に持っていたい。
# by ayabemorinaga | 2008-08-01 06:31 | その他 | Comments(0)

リ-ダ-シップ

非情な人が非情な決断をすれば、それはただ恐れられるだけである。非情な人が温情のある行為をしても、薄気味が悪いだけである。温情の人が温情を示すだけでは、甘くみられ足元を見透かされるばかりである。けじめは失われ、規律は乱れ、やがて怠惰に蝕まれることになるだろう。温情の人が、ここという時にはきっぱりと非情な決断をする。そういう人は愛されつつ恐れられる。畏敬の念というやっである。いざという時に、きっぱり示す非情が、この人はただの温情だけではない、やるときには決然としてやる人なのだというおそれの念を部下に抱かせる。それがリ-ダ-シップになるのである。失敗も一二度は許されると思っていたがそうでもなさそうだ。年寄りの気ままが許されなくなったとおもったら、さっさと引退するべきか。
# by ayabemorinaga | 2008-07-31 13:12 | その他 | Comments(0)

好印象

相手にしっかりと自分を印象づけをする為には、ポイントがある。最終段階、終わり、締めくくり、フィニッシュ、これを手を抜かず、何事につけても、しっかりやることである。それが、インパクトとなって相手に伝わっていくものである。「出迎え三歩、身送り七歩」と言う言葉がある。相手を出迎えるには三歩すすみ出る。身送りはこれよりも重要で七歩すすみでなければならない、と言うのである。だからこそ見送りを身送りという字を当てているのである。たとえば旅館に泊まったとしましょう。正にサ-ビス満点で言いようのないスバラシイ旅館であった。帰るとき玄関先に従業員が並んで見送りする。「どうもありがとうございました」の声に送られて車に乗り込む。車が動き出した。と、玄関を見るとそこで見送っていた従業員の姿がかき消す如くいなくなっていたらどうでしょう。なんだか急にしらけた気分になり、もう二度と来るかと言う気持ちになるのではないでしょうか。故に、見送りであってはいけない.身送りでなれればならない。
# by ayabemorinaga | 2008-07-30 06:33 | その他 | Comments(0)

人生(人間とは)

人生は千変万化、いろいろさまざまであるが、自分がこれらの問題をテキパキと処理できる理由は、人生のいかなる変化も、突き詰めれば、喜怒哀楽の四つを出ないことを知っているからだ。よく考えてみれば、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、と言うことが人生のすべてである。世の中には、道徳というと、一切、喜怒哀楽を表面に出さない、感情に動かされない事だなと゛とかたくなに信じている向きもあるがとんでもない誤解である。人生とは、いかに喜び、いかに哀しみ、いかに怒り、いかに楽しむということ、つまり、いかに生きるかと言うことに、正しい自律をたてること、原理原則を持つことである。
# by ayabemorinaga | 2008-07-29 07:10 | その他 | Comments(0)

衆生本来佛なり

お釈迦様は悩みに悩んだ末、人間誰しも、皆、生まれながらにして智恵や徳相を持っている。と言うこと、つまり、有名な衆生本来佛なりと言う悟りを開いたのです。しかし、道元は、衆生本来佛なりとすれば、何故、人間は血みどろの修業が必要なのか疑問を抱くのです。いろいろ聞いて回るのですが、誰も答えられない。そんな最中、建仁寺にいた栄西が明快に答えてくれたのです。確かに人は生まれたときは誰しも無垢の佛だが歳をとるに従って、諸々の欲がでてくる。その欲が本来の佛を覆ってしまう。自分の心にこの欲があることを自覚したとき、その人は欲をなくしたのと同じである。そして、その欲を取り去ったときに本質である佛が現れるのだ。しかも、それは自分の努力でしか引き出すことができない。だから修業するのです。修業には卒業ということがない。現代社会は、私たちに、どのような修業を求めているのか。
# by ayabemorinaga | 2008-07-28 08:11 | その他 | Comments(0)

中傷

人不知而不慍。論語の冒頭に出てくる文句で「人知ラズシテ慍ラス゜」と訓む。「人生は坦々たる順路のみでない。たとえ、自分が立派であっても、世間が全部、これを認めてくれるとは限らない。時にはかえって誤解し、曲解する事もある。しかし、そうであってもムットした顔をしないで天を恨まず、人に求めず、信ずるところに向かって行動するのが人の道である。」と言う意味だそうです。が言い換えれば、他人の中傷にどこまで弁解セズにおれるか。それを試してみるのも人間修練の一つの方法かもしれない。この人間修練はなかなか難しい。
# by ayabemorinaga | 2008-07-27 06:16 | その他 | Comments(0)

人事

國に功労のある人には賞を与えよ。功労があったからといって地位を与えてはいけない。地位を与えるには、自ずとその地位にふさわしい見識がなければならない。そこの所を間違えて、功労に報いる為に見識なき者に地位を与えると国家崩壊の原因になる。と西郷南州翁遺訓にかかれている。いかに仕事がきれても、いかに能力があっても、だからといって地位を与えて人を支配させてはならない人間がいる。もし、そのような人を上のポストにつけると必ずと言っていいほどトラブルを起こす。一方第一線にいるときは、これと言った派手な存在ではないが、その地位に据えると自ずとその部署が治まってしまう人がいる。言うなれば才の人と徳の人をどのように見極め賞を与えるのか、地位を与えるのかを考えなければならないと言うことに尽きる。さらに一言加えるとすればさらりといつでも地位を退く心構えのある人を用いることでは。では、あなたは現職時代どのような管理職人事をされましたか、と尋ねられれば、ウ-ムと言ってことばが出ない。
# by ayabemorinaga | 2008-07-26 08:03 | その他 | Comments(0)

春風秋霜

春風の和やかさをもって人に接し、秋霜の厳しさをもって自分の身を慎む。言志後録の有名な語句である。「イソップ物語」の北風と太陽の「ひとは北風より太陽に心を開くものだ・」という話にも通じるものである。仕事の遂行を先に考えればじれったくて実行できないが、「人を生かす」ことに何よりも価値をおけば、怒りたい自分を抑え、まず、相手のペ-スにあわせる事ができる。そのようにして、人の信頼を勝ち得たほうが、結局仕事がはかどるのだ。「やさしいママにあいたいの」二歳の男子の言葉だという。これを見てもわかるように、人間は基本的に変わっていない。暖かい春風にはなびき、冷たい秋霜には背を向ける。その性情を理解せずに、いたずらに厳しく接しても人は逃げて行くばかりである。「夏休みセミよりうるさい母の声」ついつい笑ってしまう。こういうことは職場の中にもある。「セミよりうるさい」人といわれないためにも、心得るべきことである。
# by ayabemorinaga | 2008-07-25 07:32 | その他 | Comments(0)

奮起

行きたくない所に行くかされたとき、どうするか。実はこれが組織人としては一番大切なことです。のびる人間とのびない人間はそこで分かれてくるといっても過言ではありません。不遇の時、逆鏡のときこそ、何か学ぶべき事があるのです。人間悲しいかな、だいたい行きたくない部署に廻されると、ぞんざいな仕事になりがちですが、その部署はよくみると、改善しなければならないことがたくさんあるものです。だからくさらず積極的に仕事をするべきです。常に課題を持つて仕事をすることによって、多くのことが見えてくるのです。漫然と過ごしたら自分がなまくらになります。「智者は惑わず」の心を失わないことです。口では簡単に言えますが当事者は苦しいですね。本当は。奮起。奮起。
# by ayabemorinaga | 2008-07-24 07:11 | その他 | Comments(0)

別離

蘇東坡に「人生、別離無クンバ、誰カ恩愛ノ重キヲ知ランヤ」とある。人生に別離はつきものだ。「逢うは別れのはじめ」とさえいわれる。そして、人はこの別離の情をしることによって、人生が一層深くなる。というのは、最も痛切な面にふれることによって、はじめて「もののあわれ」を知り、人間の心に対して微妙であるように訓練されるからだ。そこに、初めて人間と人間との心のふれあいが生まれるし、「恩愛の重さ」が分かるようになるのだ。私なと年をとるにつれて、人と人との関わりあいの深さ、不思議さを身をもて痛感しています。
# by ayabemorinaga | 2008-07-23 07:02 | その他 | Comments(0)

ロマン

人間誰しも詩心は持っている。川のせせらぎにも、風のささやきにも、雲のたたずまいにも,日の輝きにも、人生の感激にも、やるせない苦悩のなかにも、不思議な韻律と言うものがある。人はその韻律を感ずると、言葉にしたくて仕様がない衝動に駆られ、それが溢れ出たものが詩である。だから、明の李夢陽は、詩は情の自鳴で有ると言うことを言っている。于武陵の勧酒、君ニ勧ム、金屈巵。この盃をうけてくれ。満酌、辞スルヲ須イザレ、どうぞなみなみとつがしておくれ、花発ケドモ、雨風多シ、花に嵐のたとえもあるぞ、人生、別離ニ足ル、さよならだけが人生だ。うたごころを持った生活をしたいものだ。
# by ayabemorinaga | 2008-07-22 06:25 | その他 | Comments(0)